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流れ 2021年3月号 目次

― 特集テーマ:流体工学部門講演会 3月号 ―

  1. 巻頭言
    (橋本,松田,朴)
  2. 地中に眠る豊臣秀吉の大坂城を探る
    -サウンディング調査機械を活用した文理融合研究の試み

    仁木 宏(大阪市立大学)
  3. 成層せん断乱流の直接数値シミュレーションと線形過程
    中村 葵,沖野 真也,花崎 秀史(京都大学)
  4. 感温磁性粒子を含有したマイクロカプセルの作成と流れ場における流動様相
    小倉 一起,石井 慶子,麓 耕二(青山学院大学)
  5. 小型無人飛行機の飛行シミュレーションゲーム
    磯田 佳孝,定永 拓馬,河野 真音(京都工芸繊維大学)
  6. 流れの夢コンテストに参加して
    福原 敦樹(明星大学)

 

地中に眠る豊臣秀吉の大坂城を探る
-サウンディング調査機械を活用した文理融合研究の試み


仁木 宏
大阪市立大学

 豊臣秀吉は、1583年以降、大阪の上町台地先端部に大坂城を築造した。しかし1615年、大坂夏の陣で豊臣氏が滅亡するのと同時に、豊臣期大坂城の建物の大半は焼滅し、廃城となった。1620年、徳川秀忠は西国統治の要として大坂城を再建した。この徳川期大坂城は、豊臣期の城郭の上にかぶせるように、大量の土砂を投入して突き固め、また巨大な石材を投入して石垣を高く築き上げた。徳川期の建物の多くはその後、江戸時代から近代にかけて失われていったが、基本的な城の構造(土台)は維持され、現在の大阪城になっている。現代において地上に露出していて、私たちが目にすることができるのはすべて徳川期大坂城の遺構で、豊臣期大坂城は完全に地中にパックされてしまっている。

 1950~60年代、豊臣期大坂城にかかわる新しい研究が動きはじめた。これは、地中に残っていた豊臣期の城郭石垣が偶然発見されたことによる。しかし、その後も地下の豊臣期城郭については全体像が不明のままである。大阪城は国の特別史跡に指定されているが、それは徳川期大坂城として指定されているわけで、徳川期の遺跡を破壊して、その下の豊臣期の遺跡を発掘によって明らかにすることは許されないからである。

 そこで大阪市立大学では、私のような文献史や考古学の研究者と、理学研究科の地質学の研究者が協力し、地中に眠る豊臣期大坂城の遺構を、発掘調査とは異なる方法で解明できないか、10年ほど前から検討をはじめた。

 私たちが採用したスウェーデン式サウンディング調査(試験)は、先端にスクリューをつけたロット(鉄の棒)を地中にねじ込み、25㎝ねじ込むのに何回転必要であったか、どれだけの荷重をかけたかを測定することで、地中のその地点の硬さを検知するものである。本来は、一般住宅を建築する前の地盤の確認や、堤防の強度などを測るための機械である。作業スペースをあまりとらず、比較的安価で手軽に調査できるのがメリットである。土中に石垣や礎石などの遺構があった場合、ロッドがそれ以上貫入しないので、遺構を破壊する恐れも低いと考えられている。

 「サウンディング」というのは、機械が発する「音」を聞き取ることで地中の構造を知る、ということである。土質の判定はロッドの回転する音に頼ることになり、測定者により判定のバラツキが発生しやすいという欠点もある。しかし、機械の横でロッドにかかる荷重や回転数を見、振動や音を聞き取っていると、必ずしも石垣が検知されるだけでなく、どうも豊臣期の地表面の深さも探りあてているのではないかとわかってきた。つまり、現地表から一定の深さのところに硬い地層があり、それが広がりをもっているならば、それはある段階の地表であったゆえに硬くなっているのではないかと思えるようになったのである。

 調査では、測線を決め、基本的に1mごとにポイント(ターゲット)を設定し、ポイントごとにサウンディング調査をする。スクリューが地中へ貫入してゆく際に、いまどれだけの負荷をかけているのか。リアルタイムの情報が、機械のディスプレイに表示される。トルク(ねじりの強さ)がどれくらいであるかが数字で示される。また、それが、この深さに到達するまでにどのように遷移してきたかが棒グラフでわかる。棒グラフを慎重に観察していると、急に地層が硬くなったとか、やわらなくなったとかが、その場で判明するのである。なお、この遷移の数値はコンピューターに記録されており、後日、正確なデータは調査会社から研究チームに提供される。

 所定の深さまでスクリューが到達したならば、調査はそこでやめてロッドとスクリューを抜きとり、機械を1m移動させて、次のターゲットの調査をする。これをくり返して、当初設定した測線上のすべてのポイントの調査を行うことになる。

 私たちは、この地点では、地下何mのところに石垣があるのではないかと予想しながら調査を見守っている。また未知の地層にあたることもある。急に負荷が重くなって硬い地層がみつかると、他の調査成果とつきあわせて、それが豊臣期の地表面ではないかと判断することも可能である。その場その場で、情報をメンバーで共有し、臨機応変に調査の方針を決め(変更し)、また現場で成果を確認することが重要である。

 私たちは、2015年からはじめた本調査で、昨年度までで400以上のポイントで調査を実施した。地表下2m以下で検出した石材の多くは、豊臣期大坂城の遺構にかかるものではないかと推測される。私たちの調査では、石材を検出する割合よりも硬化面(硬い平面)を検出する割合がずっと多い。これらのうちの一定数は、豊臣期大坂城本丸地区の「上ノ段」「下ノ段」などの地表面であると推測される。こうした調査を広げてゆくことで、豊臣期大坂城の全体構造(地表面の高さと広がり)を確認してゆくことができるのである。

 徳川氏に埋められてしまってから400年、誰も見たことも、触ったこともない豊臣期大坂城石垣を、もしかしたら秀吉が歩いたかもしれない地表面を、スクリューの先でツンツン、ガリガリ触っているかもしれない、というのはこの調査の醍醐味である。現在の大阪城本丸広場の地下には豊臣期大坂城の遺構が眠っていることを多くの方々に伝えたい。そのことを示す現在、ほぼ唯一の手段は私たちの調査なのである。

 遠い将来には、「非破壊」で地中の構造、遺跡・遺構のかたちをもっと明確に知る科学的な探査方法ができるであろう。私たちが、サウンディング調査で豊臣期大坂城の構造を少しでも明らかにしておくことは、将来のこうした探査方法の先駆けの役割をはたしていると考えている。新しい探査方法が具体的な試行段階になった際、その方法の実証性を測るために、私たちの調査成果がいかされることもあるであろう。私たちの調査そのものが、大坂城の歴史を刻んでいるのである。


サウンディング調査の機械=GeokarteⅢ


測定機械を動かす測線の設定


現大阪城天守閣前での調査風景

更新日:2021.3.11